YOR’s diary

認知症の母との日々から学ぶ、ちょっと笑えてじんわり響く暮らしのヒントを発信中。

母の記憶が薄れても、一緒に過ごす朝は温かい。

※この記事は、アルツハイマー認知症の母との日々の中で、ある朝イオンで過ごした出来事を綴ったものです。母の記憶がゆっくりと薄れていく中で、それでも一緒に笑い合える時間を大切にしたいと願う、私自身の記録です。

 

イオンの自動ドアが開く音。
朝の光が差し込む店内は、活気に満ちている。

いつものように、母はカートを押しながら、軽快な足取りで店内を歩く。
しかし、今日はいつもと違う。

母の顔には、いつもの穏やかな笑顔がない。
眉間にしわを寄せ、何かを探しているような、焦燥感に似た表情だ。

「あれ?マスクが。ない。」

母は、慌てた様子でバッグの中を探し回る。
しかし、マスクは見つからない。

「あ、マスク売り場だ」

陳列棚には様々な種類のマスクが並んでいる。
母は迷いながら、ある商品を手に取る。

「これで大丈夫。」

満足そうに微笑む母。
だが、そのマスクは小さいサイズで、結局使われることはなかった。

「さあ、モーニングに行こう。」

母は、カートを押しながらフードコートへ向かう。
香ばしいパンの匂いが漂う店内。
トーストとコーヒーのモーニングセットを注文する母。

「美味しい。」

満面の笑みでトーストを頬張る母の姿。
時折ボーッと一点を見つめながらも、コーヒーをゆっくり味わうその時間は、まるで至福のひとときのようだった。

「もういらない。」

空になった皿を見つめ、少し寂しそうな表情を浮かべた母。

モーニングを食べて10分も経たないうちに、母はふと立ち上がる。

「ちょっと休憩しよう。」
「…あれ食べようか?」

海鮮丼の店の前で、目を輝かせる母。

「超特盛海鮮丼、食べよう。」

その手は迷わず注文を選び、運ばれてきた山盛りの海鮮丼に目を丸くする。

「いっぱいだね。」

少し震える手で箸を持ち、「美味しい」と何度も繰り返しながら、一口一口大切に食べていく。

「全部食べた。」

空になった丼を見て、母は満足そうに微笑んだ。

「さあ、帰ろう。」

カートを押しながら出口へ向かう母。

その途中、またバッグの中を探しはじめる。

「あれ?あれがない…どこかに置き忘れたかな?」

不安げな表情を一瞬見せながらも、そのまま歩き出す。

私は、母の後ろ姿を静かに見つめる。
母は、マスクを忘れたことも、モーニングを食べたことも、海鮮丼を完食したことも、もう覚えていないのかもしれない。

それでも――

私は、母の視界から少しずつ消えていく「透明な存在」のように感じながらも、
母の隣で、ただ見守ることしかできなかった。

「いつか、誰かが、母の記憶の欠片に気づき、優しく寄り添ってくれる日が来ることを願う」

私は、心の中でそっとそう祈る。

母の記憶が、少しずつ薄れていっても、
私は、母の記憶の中で、鮮やかに存在し続けたい。

母が、私を、いつまでも、愛してくれるように。

私は、そう信じて、今日も母の後ろ姿を見つめ続ける。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
あなたにも、大切な記憶がありますか?

家族との大切な時間、後悔しないためにできること

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」

 

 

あとから思い返すと、「あのときこうしておけばよかった」と感じる場面って、誰にでもあるのかもしれません。

大切な人が入院していたときに、
「今は忙しいから、また今度」と先延ばしにしてしまったこと。
言葉にしようと思っていたのに、タイミングを逃してしまったこと。
「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせて、目を背けてしまったこと。

どれも、そのときは"普通"の日常だったのに、
あとになって「大切な時間だった」と気づくことってあるんですよね。

だからこそ、今あらためて考えてみたいなと思いました。
「家族との大切な時間を、後悔しないように過ごすには、何ができるんだろう?」と。

・忙しくても、少しだけ話を聞くこと
・伝えたかった言葉を、思い切って届けること
・写真や手紙など、形に残すこと

ほんの少しのことで、未来の自分を救えるかもしれない。


このお題が、そんな「ちょっと立ち止まって考えるきっかけ」になれたらうれしいです。

 

私は結局、父が見たいと言っていた私のセーラー服姿を見せれたのは、静かに眠る父のお葬式のときでした。

 

 

 

 

 

怒って、泣いて、それでも笑えた日——認知症の母との記録から

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」

これは、私が“怒る自分”を少しずつ手放して、
三行で笑えるようになるまでの、ほんの少し長い前置きです。

母のちょっと気になる言動を、最初はただメモしていました。
主治医に相談するための“記録”として。

私はもともと在宅勤務で、仕事をしながら母と暮らしていました。
でも――アルツハイマー認知症の初期って、本当に難しくて、つらくて、理解できなくて。

苦しかったです。
この先、真っ暗な気持ちになるんですよ。

「私の今の生活はどうなるの?」
「子どもの大学費用は?」
「生活費や学費を全部、夫に任せて私は仕事を辞めた方がいいの?」
「子育てが終わったら、やっと自分の時間を楽しめるはずだったのに――」

本当に絶望しかないと思っていました。

 

仕事中でも、母には私が“暇そう”に見えてしまって。

「何してるの?」
「買い物行かない?」
「ランチでも行こうか?」
「お父さんのお墓に行ってくるわ!」(←車で40分の距離です)

声をかけられるたび、集中が途切れ、焦り、イライラし、自分を責めて……
そして母に怒鳴ってしまう――そんな日々でした。

それでも、なんとか2年間は神経をすり減らしながら働きました。
でも、最終的に私の体が限界を迎え、退職することに。

ありがたいことに「体調が戻ったら、また復帰しておいで」と言っていただきましたが、
体調管理の不安もあり、復帰は難しいと感じていました。

そこからの1年は、まるで抜け殻のようでした。
心も体も動かなくて、無気力で、自問自答ばかり。

──あのとき、母の言動を「病気だから」と受け止められなかったんだと思います。
今も、すべてを理解できているわけではありません。

でも、それでも、母との生活の中で、
ふと笑ってしまうような“事件?”も起こるようになって。

少しずつ心に余裕が出てきたんです。

そして、あるとき気づいたんです。

三行にすると、少し笑えて、少し楽になる。
それだけで、ずいぶん違うって。

 

私は少しずつ自分の中で“整理”ができるようになってきました。

そして、最近では母との生活の中で、いくつか心に留めておきたい「解決策」や「工夫」が見つかるようになったんです。
例えば、母の突発的な行動や発言に直面したとき、こんな風に考えることを心がけています。

 

●「今、この瞬間の気持ち」を受け止める
 母の言葉や行動をすぐに否定せず、「今、母はこんな気持ちなんだな」と一呼吸おいて考える。

 これだけで、少しだけ気持ちに余裕が生まれます。
●「自分のための時間」を意識的に作る
 母のケアに追われると、自分のことを後回しにしてしまいがち。

 でも、本当に小さなこと――たとえば、好きな音楽を聴きながらお茶を飲む、少し散歩をする、そんな時間を作るだけで、不思議と心が軽くなります。
●「三行ルール」を活用して、視点を変える
 どんなに大変な出来事でも、三行でまとめてみると、ほんの少し笑えたり、違う角度から捉えられるようになるんです。

・ 母「買い物行くわ!」(財布を忘れてる)
・私「それは大変だね!でも行ってらっしゃい」(こっそり財布をポケットに入れる)
・二人で笑顔になる。

 

こんなささやかな工夫の積み重ねが、毎日をちょっとだけ楽にしてくれるんだと思います。

 

誰かに伝えたいというよりも、自分の心を整えるために始めたものですが、

もしどこかで、同じような状況のあなたがこの日記を読んで
「ちょっと気が楽になった」と感じてくれたら――

それが一番嬉しいです。

読んでくださって、ありがとうございます。

 

母の“お釣り事件”から見えた、気づけなかったサイン

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」

 

 

ある日、コンビニから帰ってきた母が、
「お釣りを…レジの子が…ポケットに入れた!」と憤慨していた。

 

私が「そんなことあるわけないでしょ」と笑って返すと、
「あるんだよ!ちゃんと見たんだから!」と怒ってレシートを握りしめていた。

 

そのときは、正直ちょっと面白くて、
「ついに母も都市伝説の創作に手を出したか」と思っていた。

 

でも、今振り返ると、あの時は母の記憶と現実が混ざり始めていたのかもしれないと感じる。


その瞬間は笑って流してしまったけれど、後になって、あれが認知症のサインだったのだと思う。

 

感動の笑い、母のひとみばあさん登場

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」

 

母の部屋から、ふんふんふん……と妙なリズムの声が聞こえてきました。

楽しそうに笑っている様子だったので、何か面白い番組でもやっているのかなと思いながら、そっと覗いてみると──


母は、テレビのニュースを見ながら大爆笑していました。

 

……え、ニュース?

 

私は驚きすぎて言葉も出ず、ただただ母の顔を見つめることしかできませんでした。

 

すると、私の視線に気づいたのか、母が不安そうに口を開きました。

 

「ふんふんふん……」と。

 

「ひとみばあさん、出てるよ!志村けんのコントのひとみばあちゃんが。」と伝えると

 

母は“まるで何かが乗り移ったかのように、ずっと「フンフン」と頷きながら、テレビの前に座って大笑い。

そして、ひとみばあちゃんが登場する。

そんな繰り返し。

 

テンションはそんなに高くないんですよ。
むしろ妙に真剣。
でも、ずっと「ふんふん、ふんふん」って。


それがもう、じわじわ来てしまって、私は笑いをこらえるのに必死。

 

時には、耳障りに感じるときもあります。

呪文のようにも聞こえるときもあります。

そんな時は、チャイティーを飲んで気持ちをリセット!

それでも、ダメなときはイヤフォンで音楽を聴いています。


切なさや辛さ、苦しさもあるけれど、やっぱりどこか笑ってしまう。


それもまた、異世界にいる気分で楽しむのがベスト!

 

 

母の記憶の中で生まれる新しい世界、変わりゆく日常

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」

 

笑いと切なさの狭間で
母との日常は、少し混ざり合った記憶が作る新しい世界で満ちています。

 

先日も、こんなやり取りがありました。

母が突然、「姉ちゃん、亡くなってるよ!」と切り出しました。

 

驚きつつも、「いやいや、生きてるよ」と笑って返すと、
母はちょっと不思議そうに首をかしげて…。

 

私にとっては、笑いなしではやっていけない日々。

 

それでも、母が真剣に語る姿を見ると、不思議と愛おしい気持ちになるのです。

 

記憶が揺れるたびに、母の中に新しい世界が広がっていく。


それを、今日も私は隣で見つめています。

ドトールドリップと母の甘いコーヒー

今週のお題「コーヒー」

 

私の日課

朝、ドトールのドリップコーヒーをいれる。

母が起きてくる少し前。  
パチパチというお湯の音と、ふわっと広がる香ばしい香り。  
この時間が、私にとって小さなリセットタイムだ。

 

私は8年くらい前からブラック派の仲間入り。  
でも、母はオリゴ糖を小さじ3杯、そしてクリープを1杯。  
とびきり甘いコーヒーが今でも好き。

「これが美味しいの」と嬉しそうに飲んでいる姿を見ると、  
ちょっとだけ、こっちまで甘くなった気がする。

 

認知症の症状が進んでも、母はコーヒーの香りが好きなまま。  
たまに「昔は喫茶店に行ってたな」と言って、  
どこか懐かしそうな表情になる。

そういう時、私はつい「どんな喫茶店だったの?」と聞いてしまうけれど、  
母の記憶はふわふわしていて、答えは返ってこないこともある。

それでも、今この瞬間「おいしいね」と言ってくれるなら、それでいいのだと思う。

 

今日も、コーヒーがやさしい時間をくれますように☕

 

お題「家族との大切な時間、後悔しないためにできること」